好奇心/戒めとしての書記

人ニュースが飛び交っているじゃないか。マイアミ/メリーランド/中国。んでそこへきて、昨夜の「NEWS ZERO」でニュースになっていたのが阿佐ヶ谷ロフトAで行われたイベント「HamCybele〜性器喫食会〜」の内容は以下の通り。(性器提供と調理者であるエイチシーさんホームページより)

完全男性器(正常陰茎、睾丸、陰嚢の一そろい)の公開調理・喫食会です。
人間の性器の料理は特別席の予約者に供されます。
特別席は1席2万円の合計6席があり、
先着順でのweb予約受付になります。
一人で何席でも、或いは複数人で一席を予約もできます。
より多くの席を所有している予約者に、希望部位の切り分け、
多くの部位の給仕が行われます。
一人で6席を予約した場合は全て一席に提供されます。

調理台と特別席は壇上にあり、
調理の様子などはプロジェクターで拡大表示され、
一般来場客は一般テーブルで飲食をしながら一部始終を見学可能です。

・一般来場客向けには通常の阿佐ヶ谷ロフトAの料理の他、
シェフの野獣氏が供する以下のメニューが注文できます。

牡牛の陰茎のジャーキー
牡牛の睾丸のステーキ
牡牛の睾丸のスープ
ワニのテール焼き
以上盛り合わせ 1500円
(暫定)

このイベントについては町山広美さんのツイートで5月中旬に存じ上げていた。その時の思いと、そして、現在のニュース(毎日新聞http://t.co/xp7ByzTV 日刊スポーツhttp://t.co/GXkbasE4)を読んで、色々と考えを僕なりに巡らしながら書きなぐるようにツイッターに打ち込んだ。(以下、僕のツイートです)

阿佐ヶ谷ロフトの例のニュース。Twitterで三週間ほど前にイベント開催を知った。そんときは興味沸いたな。イベントに行こうとは決して思わなかったけど、これはアウトでしょ?という思考にならなかったな。カルトな物事に対する興味が沸いた。通報しようという考えには断じてならなかった。性器を食すイベントが何故ダメなのか。倫理上ダメなのか。では倫理とは何か。常識的に考えてダメなのか。うん。これは常識としてダメだと思うが。だとしたら、非常識なことは罪なのか。かつての常識が現在非常識になっていることだってある。しかし、僕は現在社会に生きている。僕は現在に生きている者として常識を守りたい。だからこそ非常識な者や物に憧れ、興味を持つ。だから、食人イベントに興味を持った、(イベントには行っていないが)客として。良い悪い、常識非常識で判断しがたいのが、好奇心というものなのか。しかし、好奇心だけで生きていると自分の行動を振り返った際、後悔が押し寄せる。だから、好奇心という奴は実に怖いものだとも思う。しかし、好奇心旺盛という言葉は肯定的に使われる場面が多くないか。ならば、後悔が押し寄せない程度の好奇心が丁度良い。そんな器用な好奇心を僕は持てるだろうか。好奇心というやつはホントに厄介だ。

今読むと、支離滅裂でよく意味の分からない部分もそのままにツイートしながら、思考していたのだな、と思うのだが、僕の結論は「後悔が押し寄せない程度の丁度良い好奇心。そんな器用な好奇心を僕は持てないよ〜〜」という言わば、”非常識な物事に対する興味”を僕は持ってしまいますが、常識は守っていこうとも考えているんです。言い換えれば、「非常識なものに興味を持ちません」なんてことは言えないよ、ということだ。



夜、恋子を泣かせてしまう。「女の涙は卑怯だ」なんて言えない自分の不甲斐なさ。自分の不甲斐なさについてはもう口に出したくないし、ここに書きたくもないのだが、(じゃあ書かなきゃ良いのだが)書いてしまった。恋子が泣き止み、シャワーを浴びている間のツイート。以下。

全知全能に何故なれないのだろう、俺は。そもそも全知全能になりたいと思うこと自体がおこがましいんだが。まだまだまだまだ経験と思いやりと経済力がないということだ。過去の日記と日々の出来事を鑑みるに、幸せな時間が永遠に続くということは難しいことなんだなと思う。それでも幸せな時間を永遠に過ごせるように時間を使うことが人生なのかもしれないな。僕は幸せを求めてしまうな、きっと。ずっと。ヒモなのにも拘わらず、偉そうなことをほざいてしまった。そんな自分に引いている。

以上、ツイート内容もかなりの痛さだが、それを改めてここに書くという痛さ。おこがましい自分に対する戒め/いつも上から目線で偉そうな自分に対する戒めとして。